日本のりんご物語 ~品種改良の歴史と誕生秘話~

日本のりんご物語 ~品種改良の歴史と誕生秘話~

秋の味覚として親しまれ、手土産や贈り物にも喜ばれる果物「りんご」。みずみずしく甘酸っぱい味わいはもちろんのこと、美容や健康を意識する女性にとっても、日々の暮らしに取り入れたい身近な果物のひとつです。

果物売り場のりんごコーナーには「ふじ」、「つがる」、「王林」、「ジョナゴールド」などなど…赤や黄色、淡い緑、縞模様のものまで、色とりどりのりんごがずらりと並び、とても賑やかですよね。

けれど、昔からこんなにたくさんの種類のりんごがあったわけではないのです。りんごのルーツをたどると、その原点は中央アジアの野生種にあります。当時のりんごは、今のように大きくて甘いものではなく、小ぶりで酸味の強いものが主流だったようです。

それが今では、驚くほど多彩で美味しいりんごが、季節ごとに私たちの食卓を彩ってくれるようになりました。その背景には何があったのでしょう?

答えは、「品種改良」。

今回は、そんな品種改良の歩みと、代表的なりんごたちの誕生秘話をご紹介します。

日本のりんご もっと美味しく! 改良への道

日本にりんごが本格的に持ち込まれたのは、明治時代。アメリカなどから西洋りんごの苗木が導入され、北海道や東北地方で栽培が始まりました。当初は外国品種のままで育てられていましたが、日本の気候や土壌には合わない品種も多く、病気に弱かったり、食味が安定しなかったりと課題がありました。

そこで、農業試験場や果樹研究所などが中心となって、日本の風土に合ったりんごをつくる「品種改良」が本格的にスタートしました。

味・見た目・病気への強さ…進化する品種

「品種改良」という言葉、耳にしたことはあっても、実際にはどんなことをするのか、少し難しそうなイメージがあるかもしれませんね。

簡単に言うと、りんごが持っているさまざまな個性――たとえば、甘みや酸味、大きさ、色合い、香り、病気への強さ、保存性など――の中から、「この特徴は良いな」と思うものを選び出したり、異なる個性を持つりんご同士を交配させたりして、両方の良さを兼ね備えた新しい品種を生み出していくこと。それが品種改良です。

植物の世界にも、人間と同じように「お父さん(おしべの花粉)」と「お母さん(めしべ)」がいて、花粉をめしべにつけることで種ができ、その種から、新たな特徴をもった子どものりんごが育つ可能性があります。

とはいえ、この作業は一筋縄ではいきません。まずは、どの親どうしを掛け合わせるかをじっくり検討し、丁寧に受粉させて種を採取。その種をまいて苗木を育て、りんごが実るまでには数年もの歳月がかかります。しかも、すべての子どもが期待通りに育つわけではありません。「残念ながら、これは思っていた味と違うかも…」というケースも多く、試行錯誤の連続です。ひとつの新しい品種を完成させるには、10年、20年という年月を要することも珍しくありません。

品種改良とは、まさに長期にわたる努力と手間、そして少しの運も必要とされる、根気のいる地道な作業なのです。

あの人気りんごは こうして生まれた!~スター品種誕生秘話~

幾年にもわたる努力と情熱の積み重ねによって、私たちの食卓を彩る人気品種のりんごたちが生まれました。

ここでは、そんな“スター品種”たちの誕生の背景に迫ってみましょう。

・世界が認めた日本生まれのエリート品種「ふじ」

今や日本だけではなく、世界中で一番たくさん作られているりんご「ふじ」。

「ふじ」は、1939年に青森県藤崎町の農業試験場で、少し酸っぱいけど貯蔵がきく「国光(こっこう)」と、アメリカから導入され甘みの強さで人気を集めていた「デリシャス」を交配して生まれました。

ふじの特徴は、糖度が高くてシャキシャキとした食感、さらに貯蔵性にも優れている点。時間が経っても味が落ちにくいため、輸出にも向いており、今ではアメリカや中国などでも盛んに栽培されています。

しかし、「ふじ」が世に出るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。どんなにおいしくても育てにくければダメ、育てやすくても味が落ちるならやり直し――。味、育てやすさ、保存性など、厳しい基準のもとで、何年もかけて多くの試作品が育てられ、試され、選ばれていきました。「ふじ」は、そんな厳しい選抜を勝ち抜いた、まさに努力の結晶ともいえる存在なのです。

「ふじ」という名前は、生まれた場所「藤崎町」と、日本一の「富士山」にあやかって命名されました。甘み、果汁の豊かさ、食感、保存性。そのどれもが高いレベルで備わっており、まさに非の打ちどころがない優等生。
「ふじ」が世界中の食卓に愛されるスターとなったのも、うなずけますね。

・季節を先取りするやさしい甘さ「つがる」

夏から初秋にかけて、いち早くお店に並ぶ早生(わせ)りんごの代表格といえば、「つがる」。「まだ暑さが残る季節に、さっぱりとした甘さのりんごを食べたい」という声に応えてくれるこの品種も、1930年代に青森県のりんご試験場で誕生しました。

その親は、黄色くて甘い「ゴールデンデリシャス」と、酸味が特徴の「紅玉」。このふたつの良いところを受け継ぎ、「つがる」は、甘みの中にほどよい酸味を感じられる、ジューシーな味わいが魅力のりんごに育ちました。

そんな「つがる」ですが、実は栽培面ではデリケートな性質を多く持ち、品種として確立するまでには長い年月と多くの試行錯誤がありました。特に課題だったのが、収穫前に実が落ちやすい「落果」と、保存中に皮がべたつく「油あがり」の問題。見た目や品質保持に細やかな管理が必要で、生産者にとっては手のかかる品種でした。

それでも暑い時期に収穫できるりんごとして注目され、やがて人気を集める存在に。津軽地方にちなんで名づけられたこのりんごは、今では国内で「ふじ」に次ぐ生産量を誇る品種です。

・香りと甘さで愛される緑の貴公子「王林」

りんごといえば赤い果実を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、「王林」はきれいな緑色が特徴。熟すと黄色みを帯び、独特の良い香りと、酸味の少ないまろやかな甘さが魅力のりんごです。

そんな「王林」には、少しユニークな誕生のエピソードがあります。1943年、福島県伊達郡桑折町の農家・大槻只之助さんの畑で、自然にできた種から偶然育った実生の木が始まりとされています。親はアメリカ原産の「ゴールデンデリシャス」と、香り高い「印度(いんど)」と推定されていますが、正確な記録は残っていません。

表面に褐色の小さな斑点(果点)が多く見られることから「そばかす美人」や「ナシリンゴ」などと呼ばれていましたが、1952年、伊達農協の組合長がこのりんごの優れた特性に注目し、「りんごの王様になってほしい」という願いを込めて「王林」と命名しました。

その後、青森県などで本格的に栽培が進み、今では「ふじ」「つがる」に次ぐ生産量を誇る人気品種に。ジューシーで香り高く、上品な甘さで親しまれている「王林」。まさに偶然が生んだ、“奇跡のりんご”です。

・甘酸っぱさが魅力 りんご界のレジェンド「紅玉」

最後にご紹介するのは、甘酸っぱい味わいと鮮やかな赤色が魅力の「紅玉(こうぎょく)」。アメリカ生まれ・日本育ちのクラシックな名品種です。

そのルーツは、1800年頃にアメリカ・ニューヨーク州の農園で偶然発見された「ジョナサン」という品種にあります。香り高く、ほどよい酸味が特長の「ジョナサン」はアメリカで長く愛され、やがて明治初期の1871年頃、北海道開拓使によって日本に導入されました。のちに日本の気候に合った系統が選抜・育成され、「紅玉」として広まります。現在国内で生産されているりんごの中でも、最古級にあたる品種と伝えられています。

近年は甘みの強い「ふじ」などに押されがちですが、紅玉ならではのキリッとした酸味と芳醇な香りは、アップルパイやジャムといったお菓子作りには欠かせない存在として今なお根強い人気を誇ります。

さらに「紅玉」は「ふじ」や「つがる」など、多くの人気品種の“親”としても知られています。つまり、日本の美味しいりんごたちの「お母さん」的存在ともいえる、大変重要な品種なのです。時代を超えて愛され続ける「紅玉」は、りんごの原点として、これからも多くの人に親しまれていくことでしょう。

より良いりんごを目指して 未来へ続く品種改良

「ふじ」や「つがる」といった名品種が誕生してからも、りんごの品種改良は今なお進化を続けています。日本はもちろん、世界各地で、より魅力的なりんごを目指して、研究と試行錯誤が重ねられているのです。

近年では、見た目の美しさや味わいに加え、栄養価やアレルギー対応、さらには環境に配慮した栽培方法など、りんごに求められる価値も多様化しています。

こうした多様なニーズに応えるため、研究の現場では日々努力が重ねられ、ゲノム編集などの最新技術を取り入れながら、より効率的な品種改良も進められているそうです。

時代とともに進化するりんご。これから先、どんな新しい品種が登場するのか、楽しみは尽きません。

まとめ:りんご一つひとつに物語がある

いかがでしたか?私たちが日々何気なく口にしている、さまざまな種類のりんご。その一つひとつに長い年月と開発者の情熱、そして「もっと美味しいりんごを届けたい」という想いが込められています。中には偶然の出会いから生まれた奇跡のような品種もあり、それぞれに物語があるのです。

次にりんごを手に取るときは、その背景にも想いを巡らせてみてはいかがでしょうか?それぞれのりんごに秘められた“誕生物語”を思い浮かべながら味わえば、より一層おいしく感じられるかもしれません。

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