
りんごの歴史をたどる旅 ~起源から日本への伝来、そして私たちの食卓へ~
みんなに親しまれている果物、りんご。
そのまま頬張っても、焼き菓子にしても、ジュースにしても美味しいですよね。
けれど、これほど身近な果物でありながら、りんごがいつ、どこで生まれ、どのようにして私たちの食卓に届くようになったのかをご存知でしょうか?
実はりんごには、壮大で、ちょっと驚くような歴史があるのです。
今回は、りんごの起源から日本での普及までをたどりながら、りんごが歩んできた長い歴史に触れてみましょう。
はじまりは中央アジアの森の中? りんごの故郷
突然ですが、りんごの原産地はどこでしょう?
実はそのルーツは、遠く中央アジアにあります。現在のカザフスタン東部にある「天山山脈」周辺が、今私たちが食べているりんご(セイヨウリンゴ)のふるさとと考えられているのです。この地域には今もなお、「マルス・シエウェルシイ(Malus sieversii)」という野生のりんごが自生しており、自然と共に生きてきた長い歴史が感じられます。
では、人がりんごを「育てる」ようになったのは、いつ頃からだったのでしょうか。
はっきりとした時期は分かっていませんが、紀元前4000年頃にはすでに栽培が始まっていたともいわれており、古代エジプトやギリシャ、ローマ時代の文献にも登場しています。神話や宗教にもりんごが登場することからも、古くから人類の文化に深く関わっていたことがうかがえます。
シルクロードに乗って 世界へ!
中央アジアで生まれたりんごは、やがてシルクロードを通じて世界へと広がっていきました。
商人たちがいろいろな品物と一緒にりんご(おそらく種や苗木)を運び、東西のさまざまな土地へと届けたのです。
西へ渡ったりんごは古代ギリシャやローマに伝わり、そこで接ぎ木などの技術によって、より美味しいりんごへの品種改良が始まりました。
その後、ヨーロッパ各地に広まり、中世の修道院でりんごの品種改良が進められ、多くの栽培種が生まれました。特に甘味や香り、保存性に優れた品種が育成され、貴族たちの間で愛されてきました。イギリスやフランスでは、りんごから作るお酒「シードル」も親しまれるように。
さらに時代が進み、大航海時代には、りんごはアメリカ大陸へと伝わります。アメリカでは「ジョニー・アップルシード」と呼ばれる人物(実在の開拓者)がりんごの種を各地にまき、りんご栽培の普及に貢献したと伝えられています。
りんご、ついに日本へ!
さて、いよいよ舞台は日本です。
記録に残る最古のりんごは、8世紀ごろに中国から伝わった「和りんご(野生種)」です。これは現在の私たちが食べているりんごとは異なり、小さくて酸味が強いもので、主に薬用や観賞用とされていたようです。
平安時代の文献にも“りんごらしき果物”が登場しますが、それが現在のりんごと同じものかどうかは、定かではありません。
では、今私たちが食べている美味しいりんご(西洋りんご)はいつ日本にやってきたのでしょうか。
本格的に食用のりんごが日本へ入ってきたのは明治時代初期のこと。1871年(明治4年)に政府が欧米から75種類もの苗木を輸入し、各地に試験的に植えられたのが始まりです。 そして、その栽培に適した土地として選ばれたのが、冷涼な気候の信州や北海道・東北地方。
こうして、りんごは本格的に日本の大地に根を下ろしていったのです。
北の大地での挑戦! 日本のりんご物語
明治時代初期、北海道や青森、長野などの冷涼な地域で、西洋りんごの栽培が本格的に始まりました。けれども、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
当時は、日本の風土にどの品種が合うのかも分からず、栽培方法や病害虫対策に関する知識も手探り状態。
なかには、明治維新で職を失った武士(士族)たちが、新たな生業としてりんご作りに取り組んだ例も多く、慣れない農作業に苦労を重ねながら、新しい果物に向き合っていったのです。
試行錯誤の末、日本の気候に合った「国光(こっこう)」や「紅玉(こうぎょく)」といった品種が注目され、りんご栽培は徐々に軌道に乗り始めます。
さらに、鉄道の発達により、北の産地で大切に育てられたりんごが全国へと届けられるようになり、りんごは次第に、日本の食卓に欠かせない存在へと成長していきました。
まとめ:りんご一個に込められた壮大なストーリー
いかがでしたか? いつも何気なく口にしているりんごも、そのルーツをたどってみると、中央アジアの野生種から始まり、シルクロードを経てヨーロッパやアメリカへ、そして明治時代の日本へと受け継がれてきた、長い旅路の果てにあるものだと分かります。
そこには、りんご自身の生命力はもちろん、りんごを育て、広め、より美味しくしようという思いを抱きながら、品種を守り育ててきた多くの人々の情熱と工夫が込められています。その背景を知ることで、りんごの味わいもまた、少し豊かに感じられるのではないでしょうか。